プロフィール

プロトライアスロンコーチ
1972年12月26日生まれ 愛知県岡崎市出身

19歳の時に奈良尾大会でトライアスロンデビューし、ロングで日本のトップアスリートとして活躍しました。
2010年に引退後、プロトライアスロンコーチとして活動中。
トライアスロンスクール、エイジ・プロの指導、ジュニアの指導、一週間単位の練習メニュー指導等を行っている。

プロトライアスロン選手時代の主な成績

【2000年】ロングディスタンス日本選手権 優勝
【2002年】アイアンマンジャパン 5位(日本人2位)
【2003年】 アイアンマンジャパン 4位(日本人3位)
【2008年】 アイアンマンジャパン 9位(バイクラップ日本人2位)
【2009年】 ロングディスタンス日本選手権 5位(バイクラップ日本人2位)
サンライズイワタIN竜洋大会 優勝
トライアスロン伊良湖大会7回優勝

柴田卓也ヒストリー

1972年12月26日
後の鉄人、柴田卓也誕生!

小学4年生の時にカーレーサーになりたくトレーニングを開始、毎朝6時に起き約4km走り学校から帰宅後は、筋トレと自宅の庭にコースを作り自転車でレースの真似ごとをしていました。3年生までは特に運動が出来る訳でもなく、けして足も速く有りませんでした。トレーニングを始めた4年生~6年生にかけ小学校マラソン大会で優勝するようになりました。

中学生になり陸上部がなく剣道部に入りました。ただ寮生活が始まり、毎朝早朝ランニングが日課為、徐々に長距離が速くなってきました。1人の先生が1度陸上の大会に出ないかと誘われ中学3年の夏に初めて3000mの西三河大会に出場、見事優勝しました。愛知県大会では2位に入賞しました。(ちなみにその時の1位は、刈谷市出身の佐藤信之君、後の世界陸上マラソンで3位に入りメダルを取った方です)中学生最後には、地元額田郡フルマラソンに出場し2時間54分で優勝しました。

高校は、名門校から特待生のお誘いが有りましたが、地元の愛三大三河高校に特待生として入学し本格的に陸上を始めました。しかし故障の連続で思うようにタイムが伸びず、苦しい思いをしました。リハビリを兼ねたトレーニングで足に負担をかけない為自転車で何人かで競い合い常に1位、さらに毎日片道16kmの道のりを自転車で学校に通っていたせいか自転車乗りは得意でした。高校3年の夏ごろトライアスロンに興味を持つようになり色々トライアスロンについて調べたりしました。でも自分は自転車やマラソンが得意でも水泳は大の苦手、それこそ25mも泳げなかったです。しかしあるプロ選手の記事に、始めは泳げなかったと書いてあり自分も水泳のトレーニングを1から始めました。

高校卒業ご名門大学から推薦のお話も有りましたが、トライアスロンの道に進む決心は固く、当時の顧問の先生や両親を説得しプロトライアスリートを目指しました。しかし親から初めての大会で80位以下なら家業を継げと言われましたが、見事2位に入り両親を納得することが出来ました。
そして師匠、当時プロアスリートの城本徳満さんに弟子入りをしました。大阪府で暮らし寿司屋でバイトをしながら毎日トレーニングに励みました。するとメキメキ強くなり翌年には、コカ・コーラのチームアクエリアスのプロチームに仲間入りが出来ました。ここから軌道にのり、大会ではNTTトライアスロンサーキットのシーズンチャンピオンに輝きました。世界選手権に出場し様々な大会で優勝をしました。
しかし人生最大のスランプと事故が・・・

1998年は本当に散々な年でした。出る大会すべて思うような結果が出ず、途中でシーズンを終え来年に懸けようとトレーニングに励みました。忘れもしないその年の12月25日朝6時頃、何時ものようにトレーニングをしにジムに向かう途中、対向車が突然飛び出してきて正面衝突!気付くと右手の甲がぱっくり開き、筋が3本切れていました。すぐに緊急手術が始まりギブスでガチガチ大変なことになってしまいました。でもそれだけでは終わりませんでした。手術から1週間が過ぎても2週間が過ぎても一向に痛みは引かず熱も40度から下がらず、何度も病院の先生に話しても相手にされず、手術後はこんなもんだと言われる始末。何だかんだでギブスを外したらビックリ手の傷治るどころか、腐りかけ筋も2本切れ身体全体に毒が回り、それは痛いのなんの。うまくいかなかった緊急手術のおかげで、今もなお右手の手首は動きません。

しかし必ず復活するんだという強い思いを胸に根性でリハビリに耐え、ケガから1年半後、体力が落ちた身体を1から鍛え直し復帰。2000年の宮古島大会で日本人総合3位に入り、この年のロング日本選手権で当時の日本人トップ選手達に勝ち、日本タイトルを手にすることが出来ました。

2002年から「SQUAD TAKUYA」を立ち上げ、2009年に現役を引退しプロコーチとして世界に通用する選手を育てる夢を追いかけながら現在活動中です。